アスリートのセカンドキャリア問題は子供や若者たちのスポーツ離れの要因にもつながり、
また、プロ選手やトップアスリートを目指すといった子供たちの夢をも諦めさせかねない大きな問題となる可能性があります。
また、これらにより日本のスポーツレベル低下や運動による健康増進にも影響を及ぼす恐れもあります。
サッカー
香川 真司
1989年、兵庫県神戸市で生まれ、小学5年生の時に神戸NKサッカークラブに入団。
2001年からFCみやぎバルセロナジュニアユースに所属する。
2006年、高校卒業前にJリーグのセレッソ大阪と契約し、同チームに2010年まで在籍。
2010年、ブンデスリーガ ボルシア・ドルトムントと契約し、2012年まで同クラブに所属。
在籍中、2011-12のシーズンではクラブ史上初となる国内2冠獲得に貢献した。
2012年にプレミアリーグ マンチェスター・ユナイテッドFCに移籍。
移籍年に、チーム2年ぶりとなるリーグ優勝に貢献した。
2014年、ブラジルW杯に日本代表として出場。
同年、古巣ボルシア・ドルトムントへ復帰。
サッカー
三浦 淳寛
1974年7月24日生まれ。
大分県出身。
高校時代は長崎県立国見高等学校で全国高校選手権、2度の優勝を果たす。
1994年に横浜フリューゲルス(現横浜F・マリノス)に入団し、
GK以外はどのポジションもこなす“ユーティリティープレイヤー”として頭角を表す。
同チームにとって合併前、最後の天皇杯を優勝に導き、
その後、横浜F・マリノスを経て東京ヴェルデイ1969(現東京ヴェルディ)に移籍。
リーグ開幕戦「東京ダービー」において味の素スタジアム第一号ゴールを直接FKで決める。
また同様に東京ヴェルディ1969時代に、JリーグオールスターサッカーMIPに輝く。
フリーキックの名手として名を馳せ、
日本における無回転フリーキック、ブレ球の先駆者である。
日本代表でも活躍し、2000年のシドニーオリンピックではオーバーエイジとして
日本代表に選抜され、ベスト8進出に貢献した。
2011年4月に引退を表明し、現在はサッカースクールでの指導や解説者として活躍中。
フットサル
相根 澄(サガネ キヨシ)
1973年生まれ元フットサル日本代表。
「日本フットサル界のパイオニア」と呼ばれ、日本人初のイタリアフットサル
セリエAプレーヤーとして、チャンピーノ、ラツィオでプレーした。
2007年Fリーグ設立に貢献して同年に引退。
フットサル界で初めてのJFAアンバサダーにも就任したほか、
指導者としてステラミーゴいわて花巻、湘南ベルマーレフットサルクラブで監督を歴任。
フィギュアスケート
小塚 崇彦(こづか たかひこ)
1989年2月27日、愛知県名古屋市でフィギュアスケート一家の長男として生まれる。
3歳でスケートに初挑戦し、5歳の時に幕張で開催された世界選手権を観戦。優勝した佐藤有香氏の演技に感化され、本格的にフィギュアスケートを始める。
中京大学付属中京高等学校時代は、スポーツ進学クラスにて競技は違えど同じ目標に向かう仲間に恵まれる。
2005-2006年シーズン、初めて出場したJr.GPファイナルで日本人初優勝。また、世界ジュニア選手権でも優勝を果たす。
2006-2007年シーズンよりシニアに参戦。その年のNHK杯で初の表彰台に上る。4月より、トヨタ自動車に社員として所属しながら、国内留学として中京大学体育学部に進学。
2009-2010年シーズンは、念願のバンクーバー五輪に出場し、8位入賞。
2010-2011年シーズンでは、GPファイナルで総合3位、また全日本選手権では初優勝を遂げる。3月、東京で開催される予定だった世界選手権が、東日本大震災の影響で中止に。代替地モスクワで5月に開催され2位となる。
その後、2012-2013年シーズンは先天性の臼蓋形成不全と診断され、シーズン後半は治療に専念。
2014-2015年シーズンでは、怪我を乗り越え全日本選手権で3位。ガッツポーズに自分の体がもっていかれる程感情をあらわにするも、2016年3月、フィギュアスケート選手としての現役引退を発表。4月には中京大学大学院体育学研究科体育学専攻博士前期課程を修了。
現在は、フィギュアスケートを始めとしたスポーツの普及活動を中心に、活動の幅を拡げて新たなステージに挑戦。また野球、サッカー、ゴルフ、モータースポーツなどのスポーツ経験を活かし、スケートの用具開発やJOCオリンピックムーブメント専門部会委員など様々な方面で活躍。今年は東京の二子玉川を拠点に、北海道、東北、関東、四国をはじめ全国各地でも小塚アカデミー(スケート教室)を開催。
札幌2030招致を含めたウィンタースポーツからの盛り上げにも挑む。
バレーボール
甲斐 祐之(かい ひろゆき)
元日本代表
1978年7月17日生まれ。宮崎県宮崎市出身。
中学3年時にさわやか杯宮城県選抜に選出。
高校は地元の強豪、宮崎県立宮崎工業高等学校へ進学し、1年からレギュラーの座を獲得し、全日本ユースやジュニアにも選手される。
1997年に筑波大学へ進学し、数度の大学日本一のタイトルを獲得。
2000年に新日鐵(現堺ブレイザーズ)に入部。
翌2001年にVリーグ新人賞受賞。全日本では2001年のグラチャン、ワールドリーグ、
2002年の世界選手権、2004年のワールドリーグに出場し、アテネ五輪予選にも出場。
2007年に全日本に再度復帰し、ワールドリーグにも出場。
現在は女子Vプレミアリーグの日立リヴァーレのコーチとして就任。
ダンス
前山 善憲(のりんご☆)
東京都公認ヘブンアーティスト、他各都市公認パフォーマー
「ウッチャンナンチャンのウリナリ ダンスTENJIKU全国大会」(日本テレビ)で優勝し
日本一の栄冠に輝いた他、数々のダンスコンテストで優勝。
国立大学法人 兵庫教育大学特別講師
文部科学省後援日本高校ダンス部選手権 審査員
行政書士(神奈川県行政書士会 所属)
佐藤 満(さとう みつる)
専修大学教授(医学博士)
秋田商業高校入学後にレスリングを始める。
高校では全国3冠(選抜、インターハイ、国体)を獲得。
日本体育大学進学後もほとんどのタイトルを獲得。
大学2年時にはユニバーシアード大会優勝。
1987年日本体育大学大学院を修了。
1988年ソウルオリンピックで金メダルを獲得。
2002年には日本のオリンピック金メダリストとして最初の医学博士となる。
2012年ロンドン五輪レスリング日本代表選手団チームリーダー。
現在は日本レスリング協会理事(2009年〜)、日本レスリング協会情報戦略委員会委員長(2013年〜)
株式会社ワイズ・スポーツ&エンターテイメント
代表 山本晃永(やまもと あきひさ)
Jリーグ(ヴェルディ、ベガルタ)、サッカー日本代表、プロ野球(読売ジャイアンツ)などでも指導。200人以上のトップアスリートをパーソナル指導。2004年起業後はスポーツチームへのトレーナー派遣、フィジカル測定、2012年からはマイクロジム「Y's PARK」を展開し、広く一般の方の健康事業や、高齢者の介護事業なども行う日本のトップトレーナー。著書も多数。
全米トレーナー協会公認トレーナー、日本スポーツ協会公認トレーナー、順天堂大学大学院修士課程修了。
荒木 秀夫(あらき ひでお)
1952年、神奈川県生まれ。
筑波大学学術博士として体育学・運動生理学を研究し、その後は徳島大学大学院教授、副理事、教養教育院長を歴任する。現在は徳島大学名誉教授となる。また、30年にわたりコオーディネーション理論を研究し、日本コオーディネーショントレーニング協会副理事も務める。このコオーディネーショントレーニングが全国的にも話題になり、NHKやテレビ東京のテレビ番組にも数多く出演し、朝日新聞、読売新聞などでも多く掲載されている。さらに全国の幼稚園、小中高の学校、体育協会、教育委員会からもオファーが多く、コオーディネーショントレーニングを体験できるイベントを全国各地にて開催している。
森川 亮 (Morikawa Akira)
C Channel株式会社 代表取締役
1967年1月13日 生まれ
1989年筑波大学卒、日本テレビ入社。
1999年、青山学院大学大学院国際政治経済学研究科修士課程を修了しMBA取得。
その後ソニーに入社。2003年ハンゲームジャパン(現LINE株式会社)入社、07年社長。
2015年3月、同社代表取締役社長を退任。同年4月、C Channel株式会社代表取締役に就任。
間野 義之
早稲田大学スポーツ科学学術院教授
専門はスポーツ政策。
社会活動は東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会参与、
日本バスケットボール協会理事、一般社団法人日本アスリート会議副理事長、
日本政策投資銀行スマート・ベニュー研究会委員長、
三菱総合研究所レガシー共創協議会会長、今治.夢スポーツ(FC今治)アドバイザーなど。
著書に『オリンピック・レガシー~2020年東京をこう変える~』ポプラ社、
『スポーツファシリティマネジメント』大修館書店など。
西村 雄一
2010・2014FIFAワールドカップ レフェリー
1990年に4級審判員資格を取得し、1999年に1級審判員に昇級。
2004年にプロフェッショナルレフェリーとして契約し、同時に国際主審にも任命される。
2015年からはJリーグや国内試合での審判を担当する。
2010FIFAワールドカップ南アフリカ大会では決勝戦の第4の審判員、
そして、2014FIFAワールドカップブラジル大会では開幕戦の主審を担当。
選手が夢をかなえられるように、
そして、ファン・サポーターにサッカーを楽しんでもらえるように、
毎試合全力で選手のために “誠心誠意” を尽くしたゲームコントロールに努めている。
バスケットボール
原田 裕花(はらだ ゆか)
1968年生まれ。山口県出身。小学校3年でミニバスケットボールを始める。山口県富田中学校・大分県藤蔭高校ではキャプテンとして活躍。87年(株)ジャパンエナジー入社(現JX・ENEOS)。1年目から日本代表チーム入り。二度の膝靭帯断裂という大怪我にみまわれつつも見事復活。カムバック賞を受賞。
日本代表キャプテンも務める。アトランタオリンピック7位入賞の原動力となる。現在はバスケット教室や解説者として活躍中。
●主な競技歴
1986年 アジアジュニア選手権 3位
1987年 日本リーグ優勝 新人王獲得
1989年 オールジャパン優勝、日本リーグ優勝、カムバック賞受賞
1990年 シンガポールアジア選手権 3位
1992年 ソウルアジア選手権 3位、オールジャパン準優勝、スティール賞受賞
1994年 広島アジア大会 2位、アシスト 第2位
1996年 アトランタオリンピックバスケットボール代表 7位入賞
(20年ぶりオンピック出場)
飛び込み
中川 真依(なかがわ まい)
トランポリンを習っていたのがきっかけで、小学1年より飛込競技を始める。中学3年で世界ジュニア選手権に出場。高校1~2年とインターハイ、国体を2年連続で制覇。また高校2年から日本選手権の女子高飛び込みで2連覇を達成する。
その後、2008年 北京で行われたワールドカップで決勝進出を果たし6位入賞。勢いそのままに8月の北京オリンピックでも決勝進出し11位と健闘した。2010年の日本選手権で後ろ宙返り3回半抱え型(通称 207C)を成功させ、総得点373.85で自身2度目の連覇(通算では5回目の優勝)。2012年にはオリンピック連続出場となるロンドンオリンピックへの出場を果たした。2014年博士前期課程(修士:経営情報学)を修了後、拠点をアメリカに移し練習を重ね、2015年にはユニバーシアード大会にて3位入賞と結果を残した。
今後は飛込競技というスポーツを通じて得た経験を基に、新しい可能性を育む活動や、スポーツの素晴らしさ元気や感動を多くの人々に伝えていく予定。
スピードスケート
大菅 小百合(おおすが さゆり)
北海道標津郡標津町出身、スケートの名門白樺高校卒業。スピードスケート女子500mの前日本記録保持者。ロケットスタートを武器に2000年代の女子スピードスケート界を代表する選手としてソルトレイクシティ、トリノと2度の冬季オリンピック出場を果たしたのに留まらず、トレーニングの一環として行っていた自転車競技でも頭角を現し、日本代表としてアテネオリンピックにも出場。3季連続のオリンピック出場は大きな注目を集めた。2011年6月に現役引退を表明。企業チームで後進の指導にあたったのち、現在は全国で講演会やイベント、テレビ番組等に出演している。
バドミントン
陣内 貴美子(じんない きみこ)
生年月日:1964(昭39)年3月12日
出身:熊本県八代市
所属:ヨネックス株式会社
学歴:
1979(昭54)年 八代市立第三中学校卒業
1982(昭57)年 熊本中央女子(現熊本中央)高等学校卒業
略歴:
1982(昭57)年3月 熊本中央女子高等学校卒業
1985(昭60)年3月 ヨネックス入社
1988(昭63)年 89(平元)年、90(平2)年、全日本総合 ダブルス優勝
1985(昭60)年 86(昭61)年、88(昭63)年、全日本総合 シングルス2位
1991(平3)年 台北オープン ダブルス優勝。全英選手権 ダブルス2位
1992(平4)年 バルセロナオリンピック ダブルス9位
1998(平10)10月 ヨネックス専属プロスタッフ
1981年から12年間、日本を代表するバドミントン選手として世界を舞台に活躍。とりわけ、1991年の全英選手権女子ダブルスでは、バルセロナ五輪優勝の鄭素英(チェン・ソーヤン)/黄恵英(ハン・ヒー・ヤン)組に惜敗したものの 接戦を演じるなど、文字通り世界のトッププレーヤーとして高く評価された。 1992年、バルセロナ五輪引退後も、全国でのバドミントン講習会・講演会など競技の普及に務めている。 94年4月からはテレビのスポーツキャスターとしても出演。また97年1月からはTBSラジオ「大沢悠里のゆうゆうワイド」のパーソナリティとして、2016年4月の最終回まで 19年4ヶ月にわたり出演した。 現在、日本テレビ「news every.」のキャスターをはじめ、テレビ・ラジオ・雑誌・新聞・講演会・イベント出演など、幅広く活動を行っている。 ご主人はプロ野球解説者、金石昭人氏。
陸上(長距離・マラソン)
大島 めぐみ(おおしま めぐみ)
1975年9月4日生まれ。埼玉県熊谷市出身。埼玉栄高校卒。
トラック競技でシドニー、アテネオリンピック代表選出、マラソンでも2005年の世界陸上ヘルシンキ大会にて代表選出され銀メダル(団体)を獲得。トラックからマラソンまで幅広い競技にて対応できる日本屈指のスピードランナー。
アスリートの視点から見た食事法に関しても関心が高く、2010年にジュニア野菜ソムリエ、ジュニアアスリートフードマイスターの資格を取得。
バレーボール
落合 真理(おちあい まり)
父が監督を務める小学生バレーボールチームで、小学校3年生よりバレーボールを始める。成徳学園高校(現・下北沢成徳高校)では春高バレーに主将として出場。1999年世界ユース選手権に主将として出場し優勝に貢献。全日本代表候補にも選ばれ「天才少女」と呼ばれた。
2000年、日立ベルフィーユに入部するが廃部の為、久光製薬スプリングスに移籍。2005年第11回Vリーグから主将としてチームをまとめ、自身もレギュラーを獲得。2006-2007年プレミアリーグ優勝、2007年4月、日韓V.LEAGUE TOP MATCH 大会2連覇、同年5月、第56回黒鷲旗全日本選手権大会2連覇と、チームのシーズン3冠達成を牽引した。
現在はテレビのバレーボール中継解説やバレーボール教室等での後進の指導に加え、タレント・モデルとしての芸能活動中。
ビーチバレー
浦田 聖子(うらた さとこ)
1980年12月22日生まれ。佐賀県出身。インドアバレーボール時代、NECレッドロケッツで2度の優勝を経験。2002年にインドアからビーチへ転向。シドニーオリンピックで4位に輝いた佐伯美香とペアを組み急激に力をつける。その後、2004年ビーチバレージャパンにて優勝するなど、実力派プレーヤーとなる。2006年のアジア競技大会に日本代表として選出され、2007年ジャパンツアーお台場大会、全日本女子選手権で優勝をおさめる。2008年テレビ朝日放送主催の六本木ヒルズで開催されたチャンピオンカップにも出場を果たす。
2009年からは、北京オリンピックにも出場した楠原千秋とペアを組み、ジャパンツアーお台場大会で優勝をおさめる。また、ビーチバレー選手としては異例となる七色の水着をユニフォームとし、話題を集める。2010年からは、西堀健実とペアを組み、話題を集める。また、2009年クラリーノ美脚大賞を受賞するなど美女アスリートとして人気を集める。
体操
内村 航平(うちむら こうへい)
1989年1月3日生まれ、長崎県諫早市出身。
オリンピック3大会(2008年北京、2012年ロンドン、2016年リオデジャネイロ)に出場し、個人総合2連覇を含む7つのメダル(金メダル3、銀メダル4)を獲得。
また、世界体操競技選手権でも個人総合での世界最多の6連覇を含む19個のメダル(金メダル10、銀メダル5、銅メダル4)を獲得している。
国内大会ではNHK杯個人総合では9連覇中、全日本選手権個人総合では10連覇中。
陸上(マラソン)
谷口 浩美(たにぐち ひろみ)
1960年4月5日 生まれ。宮崎県日南市出身。
高校時代は、小林高校で1976年から全国高等学校駅伝競走大会に3年連続出場し、1977年、1978年に2連覇。大進学後には箱根駅伝(57回〜59回)で2年次より3年連続で6区を走り、いずれも区間賞を獲得。3-4年次時には当時の区間記録を2年連続で更新して「山下りのスペシャリスト」と呼ばれ、1983年第59回大会での日体大総合優勝9回目の原動力として活躍。
1987年の東京国際マラソン、ロンドンマラソンで優勝。1988年の北京国際マラソンでは2位。1991年に開催された世界陸上東京大会男子マラソンでは、日本人では世界陸上大会史上初となる金メダルを獲得。
1992年に出場したバルセロナオリンピックでは、優勝候補の1人とされていたが、20km過ぎの給水地点で後続選手に左足シューズの踵を踏まれて転倒し、さらにシューズが脱げて履き直すアクシデントに見舞われ8位。ゴール後のインタビューで、「途中で、こけちゃいました」とコメントし、一躍有名になる。
1997年に現役を引退し、引退後は企業や大学の陸上部の指導者として活動。
トランポリン
上山 容弘(うえやま やすひろ)
1984年10月16日生まれ。大阪府出身。
2005年の世界選手権で日本人初のメダリストとなり、2006年のワールドカップで4勝、ワールドカップファイナルでも優勝し、日本人初の世界ランキング1位まで上り詰めた。
2007年の世界選手権個人で銅メダルを獲得し、悲願であった北京五輪の切符を獲得。しかし、本番では実力を発揮できず、まさかの予選敗退で始めての五輪を終えた。その雪辱を晴らすべく、練習環境を整えるため、大阪から東京に移し、4年後に迎えた2012年ロンドン五輪最終選考会で見事優勝。2大会連続となるロンドン五輪の出場権を獲得した。2度目の五輪では持ち前の安定した演技を披露し、5位入賞を果たした。
現在は2020年東京五輪のメダル獲得を目指して活動している。
水泳
寺川 綾(てらかわ あや)
1984年、大阪府大阪市生まれ。3歳から水泳を始、中学時代より頭角を現す。
2001年、高校2年時に世界水泳選手権出場。2002年パンパシフィック選手権銀メダル、2004年アテネオリンピックでは、8位入賞(いずれも200m背泳ぎ)など数々の国際大会で活躍。大学卒業後はミズノ㈱に入社。2008年北京オリンピック出場を逃すが、喘息治療を行うとともに、北島康介選手を育てた平井コーチに師事し、見事に復活を遂げる。
2009年、2010年は日本選手権で“背泳ぎ三冠”を達成。2011年世界選手権では50m背泳ぎで銀メダル。2012年ロンドンオリンピックでは100m背泳ぎで銅メダルに輝き、400mメドレーリレーでは、第1泳者として銅メダル獲得に貢献。2013年世界選手権では、50m、100m背泳ぎの2種目で銅メダルに輝いた。同年、12月に引退を表明した。
現在、ミズノ㈱スイムチームコーチとして後進の指導及びスポーツの振興に尽くす。テレビ朝日報道ステーションスポーツキャスターとしても活躍中。
水泳
岩崎 恭子(いわさき きょうこ)
1978年7月21日生まれ、静岡県沼津市出身。
競技者として常に前を行く姉を追いかけ、大会に出場。バルセロナ五輪選考会を兼ねた日本選手権残り1枠を姉と争うこととなり、周囲の予想に反して出場権を獲得した。世界ランクは14位、メダル候補にも挙がらない無名の選手だったが、本番で驚異的な成長をみせ、当時の五輪記録を塗り替えるタイムで競泳史上最年少金メダリストに輝く。名言として残るインタビューも相まって、一躍時の人となった。過剰な注目に苦悩し、不調が続いたが、奮起して2度目の五輪出場を果たした。
引退後は児童の指導法を学ぶために米国へ留学し、水泳・着衣泳のレッスンやイベント出演を通して水泳の楽しさを伝える活動をしている。
陸上(マラソン)
谷川 真理(たにがわ まり)
1962年10月27日生まれ、福岡出身。
【主な経歴】
・90年~94年 株式会社資生堂
・91年 東京国際女子マラソン優勝
・92年 名古屋国際女子マラソン2位
・92年 ゴールドコーストマラソン(豪)優勝
・93年 東京国際女子マラソン2位
・94年 パリマラソン優勝 2時間27分55秒(大会新)
・94年 札幌国際ハーフマラソン優勝
・94年 世界ハーフマラソン(ベルギー)2位
・94年~99年 株式会社良品計画
・2007年 第1回東京マラソン2位
・2014年 株式会社MariCompany設立
【肩書き】
・ NPO法人 難民を助ける会理事
・公益財団法人 ブルー・シー&グリーンランド財団評議員
・日本体育協会 スポーツマスターズシンボルメンバー
・流通経済大学客員教授
・公益財団法人 東京都公園協会理事
・沖縄県本部美らまち観光大使
・はちみつマイスター
【賞罰】
平成4年 東京都都民文化栄誉賞受賞
平成4年 朝日スポーツ大賞受賞
平成21年度 外務大臣表彰受賞(地雷廃絶活動に対して)
水泳
星 奈津美(ほし なつみ)
1990年8月21日生まれ。埼玉県越谷市出身。
競泳を始めたのは1歳半の時にベビースイミング教室に通い出したのがきっかけだった。鷺後小学校・栄進中学校を経て春日部共栄高校に進学すると、1、2年生の時にはインターハイの200mバタフライで2連覇を達成した。3年生の時には、日本選手権200mバタフライ決勝で、高校新記録 2分07秒38をだして2位となり、北京オリンピック代表に選ばれた。
早稲田大学・スウィン大教に籍を置きながら競技を継続、2014年にミズノ株式会社に入社し競技を続ける。その間、2015年8月 世界水泳選手権200mバタフライ決勝で、競泳女子の日本選手として大会史上初の金メダル獲得の他、3大会連続のオリンピック出場・2大会連続でメダルを獲得した。
2016年10月 国民体育大会をもって現役引退。現在、ミズノスイムチーム コーチ、(公財)日本水泳連盟 アスリート委員、東洋大学 非常勤講師を務めながら、水泳の普及活動を行っている。
バレーボール
大山 加奈(おおやま かな)
力強いスパイクを武器に日本をアテネ五輪へ導いた元バレーボール女子日本代表
生年月日
1984年6月19日
出身地
東京都江戸川区
出身校
成徳学園高等学校(現・下北沢成徳高等学校)
資格
NESTAキッズコーディネーショントレーナー
JADPチャイルドコーチングアドバイザー
アスリートヨガ指導員(初級)
体操
寺本 明日香 ・・・2012年ロンドン五輪、2016年リオ五輪 体操:女子日本代表
1995年11月19日愛知県小牧市で生まれ、小学1年生、レジックスポーツ・レッツ体操クラブ名古屋で体操をスタートする。
2007年、全日本ジュニアAクラス大会で個人総合優勝し日韓合宿に日本代表選手として参加。U-12(12歳以下<小学生>の全国大会)で個人優勝。
2012年、ロンドンオリンピック代表に選出。団体総合で8位入賞。個人総合11位。その後女子体操界ではより不動のエースとして活躍。
2013年4月のワールドカップ東京大会では日本の女子選手として初となる個人総合優勝を飾る。同年5月の全日本選手権個人総合では2位。
同年6月のNHK杯体操選手権で個人総合にて初優勝という成績を残す。
2015年5月全日本選手権個人総合で初優勝。世界選手権ではキャプテンをつとめる、団体5位入賞、2大会連続のオリンピック団体出場権獲得に貢献。
2016年5月のNHK杯で2度目の個人総合優勝、2016年リオデジャネイロオリンピック代表に選出。2回目の五輪代表を勝ち取る。
同年オリンピックでの団体総合で4位入賞。個人総合8位入賞を果たす。五輪団体総合で4位というのは現在も日本女子史上で最高成績。
2021年東京五輪を目指すもケガにみまわれる。2022年4月競技引退、約10年に渡り日本女子体操界を牽引する。
現在は至学館大学健康科学部助教、同大学女子体操競技部監督に就任し指導に取り組む。
パラサイクリング
官野 一彦(かんの かずひこ)
1981年8月1日生まれ、千葉県出身。
高校時代は千葉の名門校、木更津総合高校で野球に打ち込む。22歳の頃サーフィン中の事故で頚椎を破裂骨折する大怪我に見舞われ、一命は取り留めたが車椅子での生活を余儀なくされた。
知人の誘いでウィルチェアーラグビーと出会い、パラリンピックの正式種目を知りパラアスリートとして活動を開始。パラリンピック初出場はロンドンパラリンピックでの4位入賞。2016年ブラジルで行われたリオデジャネイロパラリンピックでは悲願のメダルを獲得した。
現在は競技活動拠点を千葉からアメリカに移し、2020年のパラリンピック金メダル獲得に向け活動を行っている。
服部 茂章
1994年フォーミュラ・トヨタでチャンピオンを獲得後、活動拠点を米国に移す。
インディ・ライツ、CARTシリーズに参戦し、オーバルコースで日本人初優勝。
2005年NASCARフル参戦(日本人初)。
2008年からはHRE(Hattori Racing Enterprises)を設立しチーム代表に。
2013年NASCAR K&N Pro Ser-ies Eastシリーズランキング2位を獲得。
その後同シリーズに加えNASCARトップカテゴリーの
Xfinity、Truckシリーズにスポット参戦中。
ローラン・グナシア
クリエイティブディレクター、キュリエーター、アートイベントのプロデューサー。
1967年12月28日、フランス、トゥールーズ生まれ。
トゥールーズ大学数理経済学科卒業後、ベルギーの映画製作会社で働き、
マルセイユ国際ドキュメンタリー映画祭のディレクターに就任。
2004年agnes b.の依頼により来日。
以来アニエスベーサンライズで文化的ポリシー推進事業に3年にわたり携わる。
2007年にラ ボワット株式会社を設立。
アーティスト、ミュージシャン、建築家、ファッションデザイナー、フードディレクター
などの国内外の女性クリエーターとともに活動中。
福島 圭介
学生時代よりライフセーバーとして海のパトロール活動に従事、
卒業後救急救命士国家資格を取得、スポーツイベントやスポーツ指導現場の安全管理、
救護業務を主とする(株)ピースフルを設立。
様々なイベント救護業務に携わる傍ら、AEDの普及、講習会の普及活動に取り組んでいる。
平成17年4月、株式会社ピースフル設立、現代表取締役
一般社団法人 救急救命士連携ネットワーク 代表理事
特定非営利活動法人 AED普及協会 理事・指導委員会委員長
陸上(長距離)
小林 渉
一般社団法人日本ランニング協会 代表理事
株式会社クロスブレイス 代表取締役
1975年生まれ。
中央大学在学中に箱根駅伝に出場。
4年時にはユニバーシアード、イタリア大会に日本代表として10,000mに出場。
卒業後は本田技研、日産自動車で10年間実業団選手として
ニューイヤー駅伝などで活躍。
引退後はランニングの普及に努めるほか、
アスリートのマネジメント、ランニングイベントの企画・運営に携わる。
原口 攻太
1985年1月22日生まれ、東京都板橋区出身。
専修大経営学部卒業後、新卒で四国アイランドリーグの高知ファイティングドッグス球団株式会社にフロントスタッフとして入社、翌年徳島インディゴソックス球団株式会社に転籍。その後、株式会社SIJ(ベースボールタイムズ)企画編集部マネージャーとしてプロスポーツチームや他メディアとのタイアップ案件の企画、営業に従事する。
2011年より個人事業主として活動し、チームの広報・ファンクラブ運営・興行などを請け負い、2013年5月からは一般社団法人日本バレーボールリーグ機構(Vリーグ)にて広報担当も務めた。
2014年7月に株式会社スマートスポーツエンターテイメントを設立、代表取締役に就任。
小寺 学
1981年4月22日生まれ、滋賀県東近江市五個荘出身。
プロからアマチュアまで幅広くスポーツ選手の指導、コンディショニングを全国各地で行っている。 野球指導においては独自の理論のもと、生まれ故郷である滋賀県の東近江市五個荘を拠点とし、 2005年より野球塾を開校。甲子園など全国大会で活躍をする選手、プロ野球の世界で活躍をする選手を数多く輩出している。
スポーツ界での経験を活かし2016年からスポーツマネジメント会社株式会社スピリッツを設立。選手が現役時代プレーのみに集中のできる環境づくりに尽力している。
株式会社スピリッツ 代表取締役社長
一般社団法人滋賀アスリート夢クラブ 理事長
プロ野球滋賀県人会 事務局長
飯沼 誠司
ライフセービング元日本代表監督
1974年東京都生まれ。3歳から水泳を始め、小学5年生でジュニアオリンピックに出場。
東海大学時代にライフセービングに出会い、花形種目であるオーシャンマンレースのワールドシリーズに日本代表として選出され、日本人ライフセーバーとしては初めてのプロ契約を果たす。全日本選手権オーシャンマンレースで5連覇達成。
2010年ライフセービング競技世界大会にてSERC競技において銀メダル獲得。
2014年早稲田大学学術院社会人修士修了。
タレント、俳優としてテレビや映画などでも広く活躍。
現在はアスリートセーブジャパンの代表理事として、「いのちの教室」で
AEDの普及活動を行っているほか、公益財団法人日本AED財団の理事も務めている。
野球
マック鈴木
1975年5月31日生まれ。
兵庫県神戸市出身。
1992年、高等学校を中退してアメリカに野球留学。1Aサリナスに練習生として参加。1993年にはシアトル・マリナーズと契約をして1Aサンバラディーノで4勝12セーブを挙げる。1996年7月に日本人3人目となるメジャーデビューを果たす。これは日本プロ野球未経験者として初の快挙であり、アメリカンリーグ初の日本人メジャーリーガーでもある。
2002年、日本球界にてドラフト2位でオリックス・ブルーウェーブに指名を受け入団。2006年より活躍の場を海外に求め、メキシカンリーグに参戦。2007年はシーズン途中から台湾でもプレー。2008年は拠点をベネズエラに移し、シーズン途中から再びアメリカ独立リーグに参戦。2009年はドミニカリーグで活躍をして、2010年再びメキシカンリーグで好成績を残す。日本人としてアメリカマイナーリーグを皮切りにメジャー~日本~メキシコ~台湾~ドミニカと各国でのプレー経験は前人未踏である。
2011年に帰国し、関西独立リーグ「神戸サンズ」のプレイングマネージャーとして指導。2012年に第一線を退き、メジャーリーグ解説などのかたわら、淡路島での自身プロデュースのトレーニングジム「サンライズマックジム」を立ち上げ、トレーニング指導するなど、小中学生を中心に後進の指導も積極的に行っている。
ゴルフ
横田 真一(よこた しんいち)
水城高校時代の1989年に『全国高校選手権春季大会』で優勝。専修大学3年時の1992年には『日本オープン』で18位に入ってローアマを獲得。ツアーデビュー年にシードを獲得。1997年の『全日空オープン』で初優勝を飾る。2010年の『キヤノンオープン』で石川遼に2打差をつけて実に13年ぶりの優勝。
プレーヤー以外での活動も特筆で、2005年から2年間は選手会長に就任。40歳を過ぎてから順天堂大学大学院に入り、医学研究科で2年間の修士課程を修了。2015年は『ミズノオープン』2日目に首位に並ぶなど存在感を示し、5年ぶりの賞金シード復帰。
衆議院議員
馳 浩(はせ ひろし)
【プロフィール】
生年月日: 昭和36年5月5日
(富山県小矢部市生まれ・小学校3年生より金沢在住)
所属政党: 自由民主党
選挙区 : 石川県1区
当 選: 6回(参1回)
【略 歴】
・昭和59年3月 専修大学文学部国文学科卒業
・昭和59年4月 母校 石川県 星稜高校国語科教諭
・昭和59年8月 ロス五輪レスリング グレコローマン90kg級出場。
・昭和60年9月 プロレスラー
~平成18年8月
・平成7年7月 参議院石川県選挙区出馬、当選
・平成12年6月 衆議院石川一区出馬、当選
・平成15年9月 文部科学大臣政務官
・平成17年11月 文部科学副大臣
・平成19年8月 党副幹事長
・平成20年8月 党文部科学部会長
・平成21年10月 党総務会副会長
・平成22年10月 国会対策副委員長
・平成24年12月 衆議院予算委員会筆頭理事
・平成25年10月 党2020年オリンピック・パラリンピック東京大会実施本部長
・平成25年10月 党石川県連会長
・平成26年9月 党広報本部長
・平成27年10月 文部科学大臣
・平成28年8月 党スポーツ立国調査会長(現職)
【その他】
・文部科学委員会委員
・科学技術イノベーション推進特別委員会委員
原 晋
1967年生まれ。中学から陸上を始め、広島県立世羅高校、中京大学と進学。3年時に日本インカレ5,000mで3位入賞。
卒業後は中国電力の営業マンを経て、2004年陸上競技部監督に就任。2009年に33年ぶりの箱根駅伝出場、その後も順調に成績を上げ、2012年第24回 大会新記録で出雲駅伝初優勝。2015年第91回 箱根駅伝総合優勝。2015年第27回 出雲駅伝優勝。さらに、2016年 第92回 箱根駅伝では完全優勝による二連覇を達成。2016年第28回 出雲駅伝で二年連続優勝を達成。
利重 孝夫
1965年生まれ、東京大学教養学部卒。
シティ・フットボール・ジャパン(CFJ)・日本代表マネージング・ディレクター。読売クラブユースにてプレー。日本興業銀行(現みずほフィナンシャルグループ)を経て、2001年に楽天へ。楽天ではFCバルセロナとのパートナーシップ契約を実現。その際、FCバルセロナ経営陣で現シティフットボールグループ代表であるフェラン・ソリアーノ氏と出会う。東京大学ア式蹴球部監督、また2020年Jリーグ入りを目指し2015年1月に東京文京区に発足した「CLUB LB&BRB」理事を務める。2016年7月1日付で横浜マリノス株式会社取締役チーム統括本部長に就任。
横峯 吉文(よこみね よしふみ)
1951年3月1日、鹿児島県志布志市生まれ。
読み・書き・計算の自学自習をベースにしたユニークな「ヨコミネ式」教育法は全国的に有名。鹿児島県志布志市の通山保育園、伊崎田保育園、そしてたちばな保育園を運営し、天才園児を数多く輩出。
フジテレビの特集番組「エチカの鏡」にて「ヨコミネ式」の内容が放送され、エチカ史上最高の視聴率を記録した。女子プロゴルファー横峯さくらの叔父。